東アジアでともに生きる

近年、様々なメディアで、毎日のように日中・日韓関係の悪化が取り上げられています。

無論「互いに言うべきは言う」という姿勢は外交の基礎でありますし、外交レベルでの対立は不可避な部分もあるだろうと思うのですが、一部の市民間で日本と中国・韓国両国との至極感情的な軋轢が高まっているのに対しては少し残念に思います。

僕は、アジアには「寛容」(tolerance)という素晴らしい精神があると感じています。
「寛容」とは、色々な思いや考えを受け入れることのできる広い器のような心を持っている、ということです。
僕は、日本人にも、中国人にも、韓国人にも、共通してこの寛容の精神を感じます。
そして同時に、この精神こそが人間が生きる上で最大の力であるということを私達は知っています。

僕自身は、いわゆる「戦争を知らない世代」の人間です。過去の戦争でどのようなことが起こったのかについて実際には何一つ知りません。
しかし、戦後アジア諸国の関係の発展に尽くした人々の想いは僕にも理解することができます。僕はそこに、今も昔も変わることのないアジアの「寛容」の精神を感じるからなのかもしれません。

現在の私達は、無名の人々も含め多くの先人達が苦心して切り開いてくれたアジアにおける友好の道を閉ざし、憎しみと争いの道を選ぶべきでしょうか。
僕は、真の力とは憎悪や抑圧、争いや暴力からは決して生まれないと信じています。

テレビやインターネットでは最近ネガティヴなイメージばかりの日中・日韓関係ですが、市民のレベルに目を転じてみると、そこには今更言うまでもないくらい多くの友好の輪があります。
かくいう僕にも、アルバイト先で一緒に働く中国人や韓国人の仲間が沢山います。
世代が皆近いというのもあってか、お互いが生まれた国同士の壁など全く感じることなく、皆とても仲良くしています。人と人が向き合う上で人種や国境など全く関係ないものです。

人類は皆兄弟、いや人類以外も含めて 皆兄弟。
同じ星にともに生きる仲間だから。

 

現代東アジア―朝鮮半島・中国・台湾・モンゴル

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東アジア国際政治史

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