「ヘイトスピーチ」について今思うこと

近年、これまで見られなかった新しい形の街宣活動が一部の日本人によって実践されていることは、インターネットや動画サイトなどを通じてご存知の方も多いかもしれません。
マスメディアを中心に「ヘイトスピーチ」と呼ばれることもあるこの街宣活動、言論活動について、今回は僕個人が思っていることを率直に書いてみようと思います。

 まず僕がこの活動の存在を知ったのは、数年前にYouTube上で「在日特権を許さない市民の会」(略称「在特会」)による街宣活動の動画を見たことがきっかけでした。
僕は、これまで見たことのなかった極めて排外的かつ暴力的な活動に対し、率直に驚きと怒りの念を隠せなかった記憶があります。それは、今までの保守運動や右翼の街宣活動とは明らかに異なるものでした。

その動画では、彼らは日本国旗を掲げ、マイクや拡声器を携えて街角に大人数で登場するや、始めのうちは「在日特権」というものがいかに理不尽なものであるかを説きつつも、徐々に、話の端々に特定の人々に対する侮辱的、暴力的な言葉を挟むようになり、そのうち街宣活動は無関係の市民も巻き込んで、彼らが訴えていた「在日特権」とは何ら関係のない、ただの「罵詈雑言騒ぎ」と化していきました。
YouTubeなどの動画サイトには、彼らの街宣活動やデモ活動の様子を映した動画が数多く投稿されています。(中にはかなり衝撃的なものもあるので、見る時は覚悟して見た方が良いと思います。)

 僕は、彼らの活動は道義的に許されないものだと思います。
在日朝鮮人の方をはじめ、もしこのような活動に巻き込まれて嫌な思いをされた方がいたら、僕が代わりに謝りたい気持ちです。 

 しかし、矛盾するように聞こえるかもしれませんが、僕は、在特会の方々を決して「極悪非道の罪人」だとは思いません。
そもそも、生まれながらの悪人などというものは、この世にもあの世にも存在しないと僕は信じています。

スリランカのジャヤワルダナ元大統領はかつて仏陀の言葉を引用してこのように述べています。
「憎しみは憎しみによって止むことはない。それはただ慈愛によってのみ止む。」  

百人がいれば、そこには百通りの正解があります。
僕は「在日特権を許さない市民の会」の方々が主張されている「内容」について、ここで論じるつもりはありません。

しかし、在特会の方々には主張の「方法」について一度考えていただきたいです。

例えば、マイクや拡声器を使う使わないに関わらず、極度の大声や大音量は、やはり通行中の方や近隣の方に迷惑をかけてしまうので注意していただきたいです。

また、デモや演説が熱くなってしまうのはよく分かるのですが、やはり言っていい言葉と言ってはいけない言葉があると思います。いくら怒りの気持ちになっても、やはりそこはぐっと堪えて、最低限自分が言われて嫌な言葉は他人に対して言ってはいけないと思います。許せないこともあるのでしょうが、むしろ落ち着いた言葉遣いの方が主張もより伝わるのではないでしょうか。

健全な議論は民主主義を発展させ、国を発展させることに繋がります。
主義主張を超えて日本人が寛容の精神を共有し、お互いの信頼の上に建設的な議論を根付かせていく。逆説のように聞こえるかもしれませんが、今こそ日本に民主主義を根付かせていくチャンスとも言えるのではないでしょうか。

読んで下さってありがとうございました。

東アジアでともに生きる

近年、様々なメディアで、毎日のように日中・日韓関係の悪化が取り上げられています。

無論「互いに言うべきは言う」という姿勢は外交の基礎でありますし、外交レベルでの対立は不可避な部分もあるだろうと思うのですが、一部の市民間で日本と中国・韓国両国との至極感情的な軋轢が高まっているのに対しては少し残念に思います。

僕は、アジアには「寛容」(tolerance)という素晴らしい精神があると感じています。
「寛容」とは、色々な思いや考えを受け入れることのできる広い器のような心を持っている、ということです。
僕は、日本人にも、中国人にも、韓国人にも、共通してこの寛容の精神を感じます。
そして同時に、この精神こそが人間が生きる上で最大の力であるということを私達は知っています。

僕自身は、いわゆる「戦争を知らない世代」の人間です。過去の戦争でどのようなことが起こったのかについて実際には何一つ知りません。
しかし、戦後アジア諸国の関係の発展に尽くした人々の想いは僕にも理解することができます。僕はそこに、今も昔も変わることのないアジアの「寛容」の精神を感じるからなのかもしれません。

現在の私達は、無名の人々も含め多くの先人達が苦心して切り開いてくれたアジアにおける友好の道を閉ざし、憎しみと争いの道を選ぶべきでしょうか。
僕は、真の力とは憎悪や抑圧、争いや暴力からは決して生まれないと信じています。

テレビやインターネットでは最近ネガティヴなイメージばかりの日中・日韓関係ですが、市民のレベルに目を転じてみると、そこには今更言うまでもないくらい多くの友好の輪があります。
かくいう僕にも、アルバイト先で一緒に働く中国人や韓国人の仲間が沢山います。
世代が皆近いというのもあってか、お互いが生まれた国同士の壁など全く感じることなく、皆とても仲良くしています。人と人が向き合う上で人種や国境など全く関係ないものです。

人類は皆兄弟、いや人類以外も含めて 皆兄弟。
同じ星にともに生きる仲間だから。

 

現代東アジア―朝鮮半島・中国・台湾・モンゴル

現代東アジア―朝鮮半島・中国・台湾・モンゴル

 
東アジア国際政治史

東アジア国際政治史

 

日本のこころ

日本語の中で好きな言葉があります。
それは「いただきます」と「ありがとう」です。

食事の時に使う「いただきます」という言葉は、僕にとって色々な意味を含んでいます。

命をいただいているという自覚と、そこから発する命あるすべてのものに対する感謝と敬意の気持ち。
それらの命を育て、屠殺や収穫をし、配送や販売をしてくれる方々への感謝の気持ち。
料理をつくってくれる方への感謝の気持ち。

僕はこの「いただきます」という言葉が持つ意味を理解してから、食事の時には必ず手を合わせてこのような気持ちとともにいただくようになりました。
世界には「いただきます」に相当する言葉を持たない国や地域が多く存在します。
見えにくいものに対しても思いを馳せる、寛容と慈悲の心を大切にし続けてきた祖先に対して深く感謝したいと思います。

感謝の気持ちを伝える時に最もよく使う「ありがとう」という言葉も僕にとって大切な言葉です。
「ありがとう」の語源は、「有難い」つまり「滅多に無い」という意味です。
例えば英語では同じく感謝の気持ちを伝える時に「Thank you」という言葉を使いますが、これは「I thank you」(私はあなたに感謝する)を簡略化した言い方です。
「私が」「あなたに」感謝する、と主体と客体を明確にしている「Thank you」に対して、日本語の「ありがとう」にはそれらが明確に示されていません。このことは、共同体意識を大切にする日本の特徴をよく示していると思います。

さらに言えば「有難い」「滅多に無い」というのは、「私にとっても、あなたにとっても、滅多に有難いことですね」という意味を指しているように僕には感じられます。
山田さんが鈴木さんに対して感謝すべき事をしてあげた時、それは鈴木さんにとって「有難い」だけではなく、山田さんにとっても「有難い」ことなのです。
何か感謝すべきことをしてあげた方は、された方に負けず劣らず嬉しいものです。
山田さんがいてくれたことで鈴木さんは嬉しい気持ちになれ、鈴木さんがいてくれたことで山田さんは嬉しい気持ちになることができた。日本語の「ありがとう」は、そのような「一期一会」を大切にする言葉のようにも思えるのです。

 

日本は僕にとって「かみほとけの国」でもあります。
日本人は、昔から神様と仏様をともに大切にしてきました。
今でも神社とお寺が同じ敷地内にあったりするというのは日本特有のことのようです。
日本では、神様と仏様はとても仲が良いのです。
また、日本古来の神様は一神教的な絶対神ではありません。
それはいわゆる八百万の神々であり、「神様」は文字通り至るところに存在しています。
大小を問わずあらゆるところに神様の存在を認め、自然と調和しながら生きてきた日本人の魂は今も生き続けています。

 

現在の日本は祖先の方々の膨大な努力の上にあるということも忘れてはいけません。もちろんそれは歴史に名を残す者も然り、無名の者も然りです。
そのなかで日本の心を体現する一人として「聖徳太子」を挙げたいと思います。
彼が行ったとされる仏教の受容、十七条憲法や冠位十二階の制定などは非常に先進的な取り組みでした。その中でも十七条憲法は僕にとって思い入れが強いものです。
十七条憲法は、当時の貴族や官僚に対する規範を定めたものですが、同時にそれだけにとどまらないものでもあります。
というのは、この十七条の中には日本人皆に通ずる「心」のようなものが体現されているように感じられるからです。

和を尊ぶこと、自分と異なる考えに対しても寛容になること、重要なことは皆で話し合って決めること、など現在の日本にも通ずる素晴らしい知恵がそこには織り込まれています。
今も「聖徳太子は生きている」のです。

 

天皇」は一貫して日本の象徴的な存在であり続けています。
歴史上幾多の困難を乗り越え、天皇(制)は常に生き続けてきました。
長い伝統において保守と変革を繰り返しながらも、常に日本人の心に寄り添う存在であり続けてきた。このことには一点の曇りもありません。

東日本大震災後、今上陛下と皇后陛下美智子様が、ある避難所をお見舞いのために訪ねられた時のことです。(僕はその様子をテレビで観ていました。) 
美智子様が、赤ん坊を抱っこした一人の若い女性のもとに静かに近寄られました。その女性が「震災の中、この子を産みました」と言うと、美智子様は「大変でしたね」「無事に産まれて本当によかったですね」と、本当にあたたかく接しておられたのです。その若いお母さんは感動を抑えきれず、涙を流していました。

僕はその時に、両陛下がなぜこれほどまでに多くの国民に愛され、尊敬されているのかが少し分かったような気がしました。

ふとした際に心をよぎる 懐かしい想いの数々
「日本のこころ」は様々な場所に息づいています。



法華義疏(抄)・十七条憲法 (中公クラシックス)

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昭和天皇―「理性の君主」の孤独 (中公新書)

昭和天皇―「理性の君主」の孤独 (中公新書)

 

「戦争を知らない」世代に生まれた僕の「戦争体験」

もう九十歳近くになる僕のおばあちゃんは、正月やお盆で一緒に食事をする時などに、よく自分の半生について皆に語ってくれます。

関東大震災の時、家族と共に命からがら逃げ出してきたこと、若かった頃、ずっと戦争ばかりで自分には青春と呼べるような思い出は無いということ、終戦後、銀行員だったおじいちゃんと結婚したこと。

いつも沢山話してくれるおばあちゃんですが、おばあちゃんの口から必ずと言っていいほどいつも出てくる言葉があります。

「戦争なんていいこと一つもない」

 僕は、おばあちゃんのこの言葉を聞くたびに、いつもずしりと心に重たいものを感じます。

戦地には行っていないけれど、戦争を肌身で感じたおばあちゃんのその一言は、僕に「戦争は二度とやってはいけない」ということを痛烈に教えてくれました。

「戦争を知らない世代」の僕が、「戦争」というものを特に強く意識した経験はもう一つあります。
それは、僕が小学校二、三年生くらいの頃に、「アンネの日記」という本を読んだことです。
この本は読んだことがある方も多いと思いますが、当時せいぜい七、八歳に過ぎなかった僕にとって、この経験はとても衝撃的なものでした。

とにかく悲しくて、かわいそうで、仕方がなかった。その時一緒にいた兄弟達によると、僕は図書館からの帰り道でもずっと泣いていたそうです。

 僕は今、もう戦争によって人々が殺し合い、奪い合い、泣き叫ぶ、そんな景色を見たくない、と本気で思います。

大人数で身を寄せ合っていた小さな隠し部屋で、一生懸命生きていたアンネ。そして、きっと彼女以外にも、世界中で、無数の無名のものたちが、戦争というものによって失われてきた。

僕は、彼らの心の叫びを、メッセージを決して忘れないし、この「戦争」というものを永遠に地上から廃絶したい、いやそうする責務を持っているのだと強く感じています。

アンネの日記 (文春文庫)

アンネの日記 (文春文庫)